前職を2019年の4月30日で退職し、認定農園者になりました。
うちの親父の病気が発覚して、悩まず帰省しようって感じでした。色々親の看病もしながら歳月が経ち、その後に認定農園者を申請しました。申請前の田植えはもう仕事を退職していたので、お手伝いって事で。2回目の田植えをやって、2回目の稲刈りも自分でやって終わって。
田んぼ何町歩くらい?
今は26ぐらいにはなっているんですけども、直近の作付けは6町か6反歩くらい。
どんどん増やしていく予定ですか?
可能性とか考えると、もう現状は充分。もうお腹いっぱい状態なんですけども。
この先考えなくちゃいけないかなって思うのは、私が就農した時は11軒だったんですね。それが2軒減り、何軒減りで、今8軒になっている。この先、今残っている私以外の人達って後何年できるだろう、って考えた時にはそういう時ザワッとしますね。
家業継承という形になると思いますが、実際に農家してみて感じた感想などをお聞かせください。
今の規模になったのはここ数年の話で、昔は兼業でした。昔から家族でやっていて、私は中学のころから手伝いをしていました。バイクの免許を取得した時は、みんながバイクで走りに行っている時も稲刈りをして、暑くてバイク乗れねぇなぁなんて時も自分は稲刈り。正直、小さい頃は嫌だったね。成人になったら機械乗せられたりすると楽しくて。外回りガチガチの会社だったからね。土日は必ず手伝い。稲刈り田植えとか。
そうなってくると意外と土日の農作業がストレス解消になっていたんですよね。
よっしゃ、もうすぐ稲刈りだ!って。けっこう楽しみにしてた。
手伝っていた頃は気持ちも完全にお手伝いさんなので自分とこの田んぼも分かんなかった。
「どこ刈ればいいですかね?」って聞いて「そこ刈れ」って言われた所をやってました。その時に、米って八十八の手間暇をかけてやっと米ができることを実感しましたが、その頃と比べて自分で一年間やった時には八十八の手間があるなら当時やっていたのはほんの2つか3つくらいで、本来はこんなにやることがあったのかと。
実際やってみても刈り取り終わったら全て終了じゃなくて、刈り取ったらもう既に次のスタートが始まるんだよね。春先の水越しを良くするためにユンボであぜ道作ったりとか、用水流れるように用水路補修したりとか。刈り取りはあくまで秋なんですよね、そのために年中何かしらの作業が必要なんです。
忙しい人手が必要な時期時しか知らなかった?
知らなった。勤めてる所は9時帰りが当たり前の状態だった。寝るためにやっと帰って来れるという感じだったんですけども。
田舎に戻る時には、子供達に「実家の枝野で働くようになるんだけど、もう毎日俺が一緒にご飯食べれるし、11月くらいから多分パパずっと家にいるかな!」なんて。実際はとんでもない(笑)
たぶん仕事が非常に好きなんでしょうね。自由に動けるのに休みも休めないっていうのは自分の匙加減だけど、結局自分でやる事を探しちゃう。実際は自分の段取りひとつ、スケジュールひとつで何とでも時間が作れるはずなんだけど。
みんな、朝ドラ見たら仕事始めるとかね、それもひとつのスケジューリング。
冬って4時半には暗くなるじゃないですか。でも、俺にとっては4時半なんですよ。だからできる時間までやる(笑)
じゃあ、やりがいを軸にして動いているんですね。
そうですね、自分で思った事を思ったようにできるっていうところ。
俺の場合、全部データがあってですね。田植えで何をしたかとか。
例えばこの除草剤を使った圃場をして荒れなかったとか。要因と結果を自分で楽しみながら、これを使うと収量があがるとか、あれ使っちゃうと収量がよくないんだとかを見つけるのも仕事の楽しみでやりがい。
天候に左右されたりだとか、圃場状況によっても、同じ肥料与えても全く違ったり。
中々難しい所でもあるんですけど、難しいから面白い。
田舎に行けば行くほど年寄りって、何故か隣の農家さんをライバル視してる。
俺は近隣と仲良くやらせてもらっていて、お互いの情報を共有できる関係。
稲作の成果は一年に一回しか勝負できない。30年間だったら30回だけ。だけど、その情報を仲間と共有すれば経験値になる。何にしても、誰か一人でも情報を貰えれば30年が60年になるし3人の情報を共有すれば3倍になる。
枝野農業研究会っていうチームがあるんです。そこで色んな情報を共有したり。
実家を継ぐっていう目線でもそうだし、そうじゃなかったとしても農業をやるっていう中でアドバイスとか心意気とかありますか?
やっぱり天候に左右されるってよく言うじゃないですか。本当にその通りで、こういう風にやろう、と予定を組んでいても天候によってそれが崩れちゃったりとか。
完全に計画通りにはいかない、っていうのは臨機応変な行動が必要になってくるので難しいところなのかなと思います。
あとは本当に体を動かす仕事でもあります。今は自動化が発展して楽になってきたとはいえ、手作業は必ずあります。そういう面では、手作業が嫌いじゃない人じゃないと難しいんじゃないかとは思いますし、完全にインドアの人には多分できないんじゃないかなと(笑)夏場とか暑くても外に出なくちゃいけないですし。
あと、自分がいた不動産業と農業っていうのを比べてみると、”産業”としてちょっと難しいっていうか。儲かりづらいというか。ちゃんと雇用としてやっていくという上では、今はまだ産業の製品まで辿り着いていない。そういう大変さもあるかなとは思います。
地域での差もあると思いますし社員2人に聞いても違う大変さも出てくると思います。
農業のやりがいや、良かったことは?
設備投資って莫大な資金、補助がかかる。場所もそうだし設備もそうだし。俺の場合、そこに関してはそれらがあったからね。でもなんでこの道を選んだかって…、見ての通り、手前味噌ながら大きい家も建てれる。
やったらやっただけ自分に見返りがあるのね。特に苦労は嘘つかないですからね。
農業ってダサイとか、大変そうとかいいイメージ無い。山形にスーツ農家なんて、聞いたことない?俺が目指しているのは、かっこいい、羨ましいって思われる農業の姿。スニーカーでできるような農業って、農業なめんなよって言われるかもしれないけど、例えば稲刈りなんかもしっかり水管理をして、冬の内に水持ちを良くしておけば、無駄に田んぼに入らなくていい。スニーカーでサッとできる。ちゃんと管理をすれば、やっただけちゃんとなる。
色んな創意工夫ができるフィールドがあるという事と、仰々しい事なく、敷居は意外と低いよ、だから頑張った分だけ見返りがあるような状態であるということでしょうか。
そうです!
今農業ってすごい利用者増えてるんだって。どっかの地域に参入していけば喜ばれる。
意外と苦労するのが田んぼに水を張ること。蛇口ひねれば出るわけじゃないからね。
用水路に水がきて始めてゲート開けてジャーってする。それがやっぱ一番最初苦労した。
ゲートを開けてこっち開けてもそっちの人達に水行かない。
昔は水戦争、水喧嘩なんて言ってね。水欲しいから自分の田んぼにだけ入れようとか。
地域みんなが知ってる人達だから持ちつ持たれつで関係できてきたら本当に移住なんかすごい楽になる。「(水が)無がったがら入れでだがんね」とか助け合いができる。
そういうコミュニケーションできるの羨ましいですね。
枝野に来てもらえれば俺なんかウェルカムで。