1990年1月、真冬の角田に稲作を営むアジアの国から43人の農業青年がやっ
てきました。
タイ、インドネシア、韓国、台湾、フィリピン。同じアジアの稲作農民として、膝を
つきあわせて語り合い、視点をアジア大に広げて自分の農業を見直したい。そんな想
いから「アジアモンスーン稲作農民炉ばたまつり」は開かれたのです。
お茶の水女子大学講師小松光一先生(現在:法政大学講師)のコーディネートで、角田の農協青年部が主催し
たこのシンポジウムは、草の根レベルの国際交流として冒険的な試みであり、総予算
2,000万円というスケールは、一農協青年部の事業としては無謀と思えるものだったか
もしれません。しかし、国際化の波と貿易の自由化問題に私たちの心は揺れ、加えて
長雨や冷害の災害続きで凶作が重なると、営農意欲の低下はだれの目にも明らかでし
た。なんとしても元気をとりもどしたい・・・そんな想いが私たちをこのイベントへ
とかりたてたのでした。まつりの会場となった小学校の体育館では、タイ東北部イサー
ン地方からやってきた農村開発センターの委員が、タイ農業の現状を報告しました。
「生産規模の拡大のために多くの森が伐採され、田んぼに変わりました。しかし化学
肥料や農薬に頼る大規模農業は土地をやせさせ、結局農家は借金だけが残ったのです」
と。また後継者問題、農産物の輸入自由化、そして低収入と三つの大きな問題を抱え
ているという韓国農業の実情も、まさに日本の農業が直面している問題でした。体育
館をぎっしりと埋めたおよそ1,300人の参加者は、三時間半の間、熱心に聞き入った
のでした。シンポジウムのあとは、グループに分かれての大宴会やどんと祭などで交
流を深めました。酒を酌み交わしながら、私たちはアジアの現実をあまりにも知らな
かったことに気づかされたのです。国際化といえば欧米にばかり目を向けて、自分た
ちがアジアの一員であることを意識の外に追いやっていたように思います。この交流
のなかから、目先のコスト論や自由貿易の観点だけで農業を語る無謀さと、市場原理
ではなく協同の原理に基づく共存共栄の必要性を私たちは感じたのでした。少なくと
も農民同士が価格で争うべきではないと。アジアとの交流は私たち自身が、農業者と
してのこころを確認する作業でもあったのです。